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6月17日 土曜日 晴れ

 行きしな「宗教家の公共性・社会性」についてぼんやりと考えた。昨晩ネットで坊さんとやり取りしたからだろうか。基本的に宗教家や信者というものは、自派教団という中規模の他者、神仏などの超越を対話相手なり目的にするとかなりの確率で独善に陥るのではないか、と思った。つまり超越も中規模程度の他者も、人間が扱える両極端であり内在可能なものだ。要するに内輪や脳内の話にしかならない。

 根拠を内的確信や神に持つことは重要だ。しかしながら表現形式は一定の社会性・公共性がなくては彼らの発言も実践も、誰かに届くものとはならない。他者への伝達を目的にするのならば、歴史性で以て自縄自縛する姿勢が必要なんだろう。これがないと伝達の前提に到達しない。そして、この歴史性に跪くには西洋近代自我への懐疑、それを可能ならしめる「宗教の自己理解の理解」としての宗教学的なメタ視点を、信者が持つ必要があろう。
 端的に超越に基礎付けられた内的確信と社会的自己の両方を持つというシンプルな話。この社会的な自己が、自派教団の絶対性を超える接点となり、この接点の形成こそが宗教家や信者の適切かつ謙遜な提示であり、社会的に協働可能な形態となる。見た目は同じだろうが、この道筋を経由したか否かは、宗教家なり信者が自己否定の契機を汲んだか否かに関わるので、信仰のしなやかさ、強靭さ、幅の広さに関わる問題となる。

 で、ここまで来ると吾がの信仰などは塵に等しく塵であるがゆえに他宗教からも学ぶことが可能であり、他者との関係構築が可能になるんだろう。

 時間には間に合ったが手洗いにいっていたら開始時間になってしまった。凄い人である。初日舞台挨拶の中継上映回、完売の満員御礼。出演声優さんたちのコメントを楽しみ、大画面でお兄様を讃える喜びプライスレス&マインドレスである。深雪さん、渾身のアノ一言は最高だった。

 その後、すき屋で昼を食べて、スマホ購入時のポイントで約4000円のマウスを200円で買うことができた。しかも青歯マウスをつけることで、段違いに使いやすくなったASUS粘土板。これもすべてお兄様のおかけである。さすがです!お兄様!お兄様!お兄様!

 いつもの喫茶店へいくと友人作家氏が仕事中。相席させてもらった。途中「小説家になろう」でワナビくんの凄さを感じた。誰か彼に才能ないと言ってあげてほしい。夕方六時、早めの閉館ということでお出かけ。友人と別れたのち、別のネット仲間が近所にいるということなので、顔を見るついでにサイゼリヤへ行ってみた。せっかく大阪に出てきているのだから費用対効果を考えると、もう少しいたい。にしても週末の心斎橋・難波はこんなに混むのかと思った。住んでるあたりとは大違いである。

 帰宅後、NetflixとU-nextのどちらに加入するかを迷っていたら、だらだらと起きてしまった。

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